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就職に強い建築学科のある大学の共通点

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この記事は、

 

  • 「設計士を目指しているので、評判のいい建築学科で有名な大学に入学したい。」
  • 「なるべく入学が楽で、大手企業への就職に強い、コスパのいい大学の探し方を教えろ」
  • 「同じ偏差値帯の2つの大学で迷っているけど、どちらの方が建築業界の就職に強そうか簡単に調べる方法はないの?」

 

という、建築学科志望の高校生のための記事です。

 

 

 

 

 

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就職に強い建築学科の条件

まずは一般に「建築業界に強い」とされる建築学科を並べてみます。

 

国立

  • 東京大学 工学部 建築学科
  • 京都大学 工学部 建築学科
  • 東京工業大学 環境社会理工学院 建築学系
  • 京都工芸繊維大学 造形科学域 デザイン建築学課程

私学

  • 早稲田大学 創造理工学部 建築学科
  • 工学院大学 建築学部
  • 日本大学 理工学部 建築学科

 

こうしてみると、建築学科の評価が、必ずしも偏差値や大学全体のブランド力と相関があるわけではない点に気がつきます。

 

 

 

例えば早稲田と双璧をなす慶應義塾大学やミッション系大学の雄上智大学も、建築業界ではさほどブランドがありません。

逆に、デザイン建築分野以外での知名度は今ひとつな京都工芸繊維大学や、偏差値的に難関校とは言い難い日本大学工学院大学は、建築業界では旧帝大に迫る高い評価を得ているようです。

 

 

 

ならば、これらの大学にはあって、慶応や上智、あるいは他の国公立大学の建築学科には無いものが見つかれば、それが就職に強い建築学科を図る指標になるのではないでしょうか?

 

 

 

 

答えは至極シンプル。

それは、建築学科としての歴史です。

 

 

上述の7大学はすべて、2020年をもって100年以上の歴史を有する、超超名門建築学科なのです。

 (大学の歴史ではなく、あくまで建築学科の歴史に限定。例えば慶応は大学の歴史は当然福沢諭吉の頃からあるが、理工学部ができたのはかなり最近から。)

 

 

 

というわけで、ここで先に結論から述べましょう。

その建築学科が創立何年目かを調べることは、その建築学科が業界で評価されているかを外部から見抜く非常に優秀な指標となるのです。

 

 

就職に強い名門建築学科一覧

 今から100年前、つまり1920年前後の日本を振り返ってみれば、

  • 毒ガス・戦車・飛行機・塹壕戦など、第一次世界大戦による化学・工学・土木の軍事的意義の上昇(1914-1918年)
  • 辰野金吾設計による東京駅 丸の内駅舎の竣工完了(1914)
  • 建築基準法の前身である市街地建築物法の制定(1919)
  • 都心への人口集中深刻化と旧都市計画法の公布(1919)
  • 関東大震災勃発と、それに伴う鉄筋コンクリート構造への注目(1923)

など、それはまさに文明開化以来埋め続けてきた近代化教育の種がその実を結び始めた時期でした。

 

 

 

同時に1920年代という時代は、建築技術者教育の転換点でもあります。

人々が空前の大戦景気に浮かれる一方、震災により灰燼と帰した都市部の再開発需要や耐震・耐火改造需要はうなぎ登りであり、建築教育を受けたエンジニアの養成はまさしく焦眉の課題でした 

そのため1919年、原内閣の高等教育拡張政策に基づき大学令が交付されると、多数の専門学校が大学昇格を果たします。

 

その教職を担ったのは、東京帝大・工手学校・東京職工学校をはじめとする明治初期創設の建築学科を出た、若き俊英達

日本の建築が御雇外国人という親鳥から巣立ち始めた、日本人による日本人のための建築設計が動き始めた時期でした。 

 

 

 

1873年 東京大学 工学部 建築学科

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東京大学(写真出典:wiki)

1873年|工学寮 造家学科 開設

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(中略)

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2020年|東京大学 工学部 建築学科

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明治の日本人が諸外国を周遊し西洋技術の輸入に励んだことは周知の事実なれど、日本で初めて近代工業技術を学んだ山尾庸三の名はあまり知られていない。

山尾庸三は伊藤博文・井上馨らとともにイギリスに密航した長州5傑の1人であり、グラスゴーの叡智を初めて日本に持ち帰った日本工業のパイオニアであり、そして東京大学工学部の生みの親である(ちなみに大学に工学部を設置したのは東大が世界初だとか……)

「工業を以て、国を興す」を生涯の使命と心得る山尾は、工部省設置構想を実現するや否や返す刀で1873年、本邦初の実務技術者養成機関、工学寮を設立し、土木・機械・造家・電信・化学・冶金・鉱山にまつわる近代化教育を一手に担うこととなった。

 

この造家学科こそ、近代日本の建築教育の黎明にほかならない。

1877年には若き英国建築家「ジョサイア・コンドル」が造家学科教員として招聘され、さらにその2年後、辰野金吾や片山東熊といった日本の建築業界を担う俊英たちを排出する。

 

 

1887年 工学院大学 建築学部

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工学院大学(写真出典:https://pictkan.com/

1887年|工手学校 土木学科・造家学科 開設

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(中略)

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2020年|工学院大学 建築学部

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工学院大学は、近代土木界の最高権威とも称された土木博士古市公威の支援を受け1887年に創設された、日本で最も古い私立工業実業学校だ。

工学院大学の学祖は帝国大学(現東京大学)の初代総長でもある渡辺洪基である。

 

渡辺は「我が国の産業発展のためには、民間の工手の養成が急務」とし、故に官としての高級技術者ではなく、民としての現場技術者を要請する教育機関を標榜。

設立時に設けられた8学科にはすでに土木・造家が含まれており、1955年に建築学科が再設置、2011年には国内初の「建築学部」が設置された。

 

1901年 東京工業大学 環境社会理工学院 建築学系

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東京工業大学(写真出典:wiki)

1881年|東京職工学校

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1901年|東京高等工業学校 建築科 開設

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(中略)

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2020年|東京工業大学 環境社会理工学院 建築学系

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東京工業大学の変遷をたどれば、ゴットフリード・ワグネルの進言によって設置された「製作学教場」を母体に設立した、1881年の東京職工学校にたどり着く。

創立者は国立科学博物館、国立国会図書館の主幹も歴任した文部官僚手島精一で、その名の通り職工、すなわち工場の技術指導者の養成機関として成立しており、国内の製造業従事人口の裾野を大きく広げた

 

設立当初の本科には化学工芸科と機械工芸科のみ設置で土木・建築学科は存在しなかったが、1901年の東京高等工業学校への改称に前後して、工業図案科・建築科が新設される。

ただし、1894年には付設の工業教員養成所に木工科があり、これが建築教育を担う教員輩出の先鞭をつけた形となる。

 

 

1920年 京都大学 工学部 建築学科

 

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京都大学(写真出典:wiki)

1897年|京都帝国大学 理工科大学

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1920年京都帝国大学 理工科大学 建築学科 開設

 ↓

(中略)

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2020年|京都大学 工学部 建築学科 

 -

国内2番目となる帝国大学設置の機運が高まりつつあった1897年、日清戦争の勝利とその賠償金獲得を契機に、京都帝国大学設置の勅令が出された。

その理工科大学(機械工学・土木工学)設置に際して、初代理工科学長として白羽の矢が立ったのが、低迷する京都工芸界を近代化学によって再興させた明治の応用化学者中澤岩太である。

 

中澤はワグネルに薫陶を受けた無機化学工業の第一人者としての功績はもちろんのこと、ベルリン留学時代に通訳によって大学組織に通暁しする経験を有し、その手腕は大学運営・制度決定にも発揮された。

学生各人の適性や自立精神を前提とする今日の大学のあり方が形成された背景には、中澤と京都帝国大学の影響によるところが大きいとされる。

 

 

1902年 京都工芸繊維大学 造形科学域 デザイン建築学課程 

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京都工芸繊維大学(写真出典:wiki)

1902年|京都高等工藝学校 図案科 開設

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(中略)

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2020年|京都工芸繊維大学 造形科学域 デザイン建築学課程 

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京都帝国大学の学長を務める中澤岩太だったが、1900年のパリ万博にて目の当たりにした「デザイン」の概念に心を打たれ、本邦の工学教育に芸術的素養を取り込む必要性を痛感。

1902年、東京・大阪に次いで 3番目の官立高等工業学校として、京都高等工藝学校を起ち上げた。

 

教員としてパリで出会った洋画家の浅井忠や「関西建築界の父」と称される武田五一を招聘し、陶磁器の柄から建築設計までを飲み込む「図案科」を設置。

これが1899年設立の京都蚕業講習所と合流し、今日の京都工芸繊維大学デザイン建築学課程となった。

 

 

1909年 早稲田大学 創造理工学部 建築学科

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早稲田大学(画像出典:https://www.photo-ac.com/

1882年|東京専門学校

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1909年|早稲田大学 理工科 建築学科 開設

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(中略)

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2020年|早稲田大学 創造理工学部 建築学科

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明治を代表する元勲大隈重信によって1882年早稲田大学(旧東京専門学校)が設立された。

当初「政治を改良し、その法律を前進」することを掲げる人文系の教育機関であったが、後に理系教育の重要性を痛感した阪田貞一・牧野啓吾・手島精一らによって1909年、日本の私立大学で初めて理工系学部が新設された。

 

私立大学初の建築学科を取り仕切ったのは、当時先進気鋭の宮内庁技師であった佐藤功一であった。

柳田國男・今和次郎らと共に古民家の調査・保存を行う「白茅会」に参画するなど、早稲田建築に特有の在野的でヴァナキュラーな設計思想が、この当時から佐藤の手によって培われていたことが伺える。

 

 

1920年 日本大学 理工学部 建築学科

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日本大学(画像出典:https://www.photo-ac.com/

1889年|日本法律学校

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1920年|日本大学 高等工学校 建築科 開設

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(中略)

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2020年|日本大学 理工学部 建築学科

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日本の法典整備に尽くした小ナポレオンこと山田顕義は、国内の統治基盤たる司法整備に邁進する傍ら、その国法を治める人材の育成として1889年に日本大学(日本法律学校)を創設する。

 

さらに1920年、早稲田に次いで私立二番目の理工学部が設置されると、当時工学会理事であった建築家佐野利器がその校長として抜擢された。

佐野は辰野金吾に師事した建築家であるが、「形の良し悪しとか色彩の事等は婦女子のする事」と嘯き、もっぱら意匠設計の途を捨て建築構造学の研究に邁進し、地震大国にふさわしい世界最高峰の耐震建築理論を確立した。

 

 

考察

このように、就職に有利と評される大学というのは、往々にしてその歴史が極めて長いです。

では何故、建築学科の歴史と就活の強さに関係が生まれるのでしょう?

 

 

 

それは、結局就職に強い大学とは、各企業へのOB層が厚い大学のことだからです。

それも、特定の年代に沢山の卒業生がいるのではなく、平社員から役員まであらゆる年齢層に卒業生を送り込んでいるほど、その大学から企業に入社するのは容易になります。

 

 

例えばあなたが何処かの会社の人事課で、会社の上司から「優秀な若者を一人紹介して」と相談されたら、まずは自分の母校から探すのではないでしょうか?

企業経営者になって、大学と連携して事業や研究を行いたいと考えたとき、特に理由がなければ真っ先に自分の出身校との提携を模索するのではないでしょうか?

 

自分の母校に愛着や報恩の感情を抱くのは自然なことですし、特段の理由がなければわざわざ自分の古巣を邪険にする人間はいません。

採用面接を執り行う若い人事社員から、会社の役員や幹部や理事会みたいなおっさんレベルまで、自分と同じ出身の学生を優先的に採用してしまうのが人間なのです。

 

これが平成に入ってから誕生したような創立まもない新興建築学科の場合、どれほど優秀な学生を輩出していたとしても、その企業における派閥を締めることに難しく、企業と大学という組織単位での関係性を構築することが難しいのです。

 

 

 

畢竟、その会社の創立当初から存在する古参の建築教育機関ほど、その企業への就職に有利となるのも道理でしょう。

 

ならば、

  • 1873年:大成建設
  • 1880年:鹿島建設
  • 1889年:竹中工務店
  • 1892年:大林組
  • 1900年:日建設計
  • 1915年:清水建設

といった、創業100年を優に超える超大手設計系企業への就活に有利な大学とは、創立100年を数える老舗建築科を抱える大学であることに他ならないのです。

 

 

 

 偏差値・ランキング・評判より大切なもの

 

一般に「就職に強い大学」というとき、大きく2つの意味があります。

  • 採用したくなる優秀な学生を育てるだけの、人材育成力がある
  • 多くの卒業生を送り出しており、業界とのコネクションが強い

で、身もふたもない話をしてしまうと、就職活動への影響力という意味では後者の大学のコネクションの方が圧倒的に重要な要素です*1

  

なぜなら、業界と大学の繋がりの強さというものは、大学によって歴然とした格差がある上に、あなた自身の努力では入学後どうやっても覆せない要素です。

 

 

 

 

「コネ」と聞くと、なんだか不正ルートでの入社や、金・権力・忖度といった、不当で非合理で前時代的なイメージが強いです。

しかし産学連携が叫ばれる昨今、その大学が業界に対してどのくらい力を持っているかというのは、将来設計業界で大企業に勤めたい受験生にとってとても重要な判断材料であるのも事実でしょう。

 

 

でもそれって、大学HPのどこを見れば判断できるのでしょうか?

 

 

ある大学の就職力≒その学科の歴史の厚み

これが当記事の結論です。

 

故に、偏差値が似たようなランクの2つの大学で迷った時は

「〇〇大学 建築学科 沿革」

などのワードで検索して、簡単な来歴と創立年を比べるだけでも、大きく参考になるでしょう。

(無論例外も在るけれど)

 

2,3年程度の差ならあまり違いはないかもしれませんが、両大学の成立時期に30年以上の開きがあった場合、より古豪の建築学科のほうが就職という面では軍配が上がります。

 

 

もちろんこれは、新しくできた建築学科には将来が開かれていないという意味ではありません。

 

例えば、実力が低い名門大学の学生と、実力も実績もある新興大学の学生を前に、前者を採用するほど建築業界はコテコテの学歴社会ではありません。

確実な実績と積極的なアプローチがあれば、より多くの大学の学生に対して門戸を開いている企業ばかりです。

大手ゼネコンや組織設計事務所も、同じ大学からしか採用しないなんてことは絶対にありませんし、できたばかりの学科だからこそ、設備が新しかったり最先端の設計教育を導入できたりする側面もあります。(慶応とかね)

 

 

ただし、OB層の厚い大学に所属していると、企業の側から学生に声がかかる可能性すらあるのです。

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能力のない名門学生がうまい汁をすすれるほど甘い業界ではない。

大学に入ってから努力した人にも、活路は当然開かれている。

 

けれども、確かな実力のある学生が、効率的にその真価をアピールするには、先輩や大人とのつながりって大事だよね、というお話でした。

 

 

 

 

 

 

蛇足ながらにもう一点。

 

大企業というものは、大なり小なり従順性の強い若者を求めています。

その意味において、出身大学や志望企業の来歴や成り立ちを知悉しているというのは、その組織に対する何よりの忠誠心を(上辺だけでも)アピールする有効な手法です。

 

逆に、その組織がどのような大義を掲げた機関で、いかなる専門家の養成を目的として創建されたのかという理念を理解していない人間ほど、

「僕が入りたかったのはこんな大学or企業じゃなかったのに!」

と喚き散らすものです。

 

 

こんな話は、大学受験や就職活動云々以前の次元の話なのですが、何かしらの集団の仲間に入れてほしければ、その相手のことをよく学ぶのは至極当然の努力です。

 

 

 

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*1:日本の大学および企業限定