建築学科ごっこ

せめて、建築学科生のふりはしていたいから

建築学科の4年間を通じて大きく変わった「努力・学習・創作」に関する13の価値観

模倣とオリジナリティ

(昔)他人の作品を模写模倣すると自分の個性が失われる

(今)同じ作品を模写しても、人によって好みやこだわりには差があり、模倣から吸収する内容には無意識の差が生じる。
大量の模倣の中から「何を抽出し何を吸収するか」という淘汰を繰り返すことで、自分の個性が生まれる。

創作スピード

(昔)時間と労力をかければ良いものができる

(今)創作スピードは凡人が高品質のアウトプットを生み出す数少ない武器の一つ。
手が早ければ試行回数と経験値の集まりが早くなり、成果物の質も上達速度も上がる。

反復学習

(昔)基礎の反復は大切だが、単純な反復では成長は限定的なものに留まるので、練習は質を重視しなければ意味がない。

(今)大抵の人は、最低限の反復練習すら積んでおらず、努力の質を議論できる段階に達していない。
愚直に基礎を繰り返すだけでも、周囲を置き去りに出来るだけの成長と躍進を実現できる。

無駄な努力

(昔)ムダに大きな模型やかっこいいだけの図面、中身の伴わない多読に目を奪われず、本質的な勉強や努力に打ち込むのが効率的な建築学科の勉強である。

(今)盲目的な努力を一度も経験しないまま、「ムダな努力」と「本質的な努力」を見分けることはできない。
自称「効率的に学ぶ学生」は、がむしゃらにあがく他の同期を内心バカにしながら何もせず、単に消極的で手抜きなだけの建築学生になるだけである。

努力と成長

(昔)つねに成長への強い志を持ち、努力を重ねなければならない。

(今)特に成長の意志を持っていなかったにもかかわらず大きく成長している部分を発見し、その能力の周辺から連鎖的に能力を向上させることで、努力を努力と考えることすらなく不得手な分野でも効率的に成長できる。

環境と成長

(昔)自身がハイレベルな人間になることで、いつかハイレベルな環境や集団に入ることができる。

(今)ハイレベルな集団に飛び込む手段はいくらでも転がっており、むしろそこに飛び込むことこそ、強制的にハイレベルな技能や思考が身につける最短距離である。
例えば仕事が速い人になる最良の手段は、仕事が速い人と共同で一つの成果物をつくることである。

共同制作

(昔)共同制作とはお互いの長所と短所を補い合いながら力を合わせ、1+1を3にも4にもするような協調的な行為である。

(今)主観のこもっていない「みんなの意見」のいいところを寄せ集めた企画は、建前で塗り固めたつまらないものになる。

互いの友情を信頼した上で、相互の異質な価値観を容赦なくぶつけ合わせ、1+1からまったく未知の1を生み出すことがコラボレーションの魅力である。

睡眠

(昔)睡眠不足は判断力が低下するが、建築学科生はまだ若いので多少のむちゃをしても最低限の思考力は残っている。

(今)「自分が睡眠不足か否か」を自己診断することすらできないレベルで睡眠不足なだけであり、実際には自覚できないだけで致命的に思考力が低下している。
ちなみに、ここでいう睡眠不足とは単なる「睡眠時間の不足」とは別物である。

 読書

(昔)より多くの本を読みたくさんの知識を付けなければならない

(今)読書の意味とは知識の補充だけでなく、全く新しい物の考え方や発想をインストールできることである。
既存の思考ルートを新しい知識でなぞるのではなく、これまで自分が慣れ親しんだ思考回路をズタズタに破壊し、全く新しい思考回路を再編する知的作業こそが読書の醍醐味である。 

クリエイター

(昔)クリエイターとは作品を作りだす人の事である。

(今)クリエイターとは抑えようとしても抑えられない創作欲求を巧みにコントロールし、さらにそのうち幾つかを社会的貢献に役立つよう加工できる人の事である。
故に課題、コンペ以外で作品を作らない、自主制作をしていない人間は、そもそもクリエイターに向いてない

建築の社会的意義

(昔)建築学科は現代の社会的な課題を解決することが大切である。

(今)大切なのは、現在の課題が解決したその向こう側の社会をシミュレートし、だれも予測できていない、新たな課題を発見することである。

 建築家

(昔)建築家は人の金を大量につぎ込み自分勝手な「芸術作品」を生み出す存在ではなく、社会的な課題に貢献する冷静で客観的な存在でなければならない。

(今)これからの社会的課題とは「知性を超越した熱狂と感動」を生むことであり、そのためには作家性や物語が必須となっている。

建築と美学

(昔)建築学科は万人が美しいと思う優れた建築を作らねばならない。

(今)皆が醜いと考える不快や劣等や嫌悪の中に、皆が見過ごしてきた美しさ発見し、それを万人が共有できる形に造形しなければ、より大きな感動は生まれない。

 

 

 

以上、ぼくの考えたさいきょうの建築学科生でした。